福田平八郎の家族構成【妻・子供・父親・母親・兄弟】

目次

福田平八郎の家族構成【妻・子供・父親・母親・兄弟】

福田平八郎の家族構成

  • 妻:谷口家の娘「谷口テイ」
  • 子供:息子と娘が一人ずついる
  • 父親:文房具店を営んでいた「馬太郎」
  • 母親:「安(あん)」は1936年に他界
  • 兄弟姉妹:弟がいたが3歳の時に他界

妻:谷口家の娘「谷口テイ」

福田平八郎の妻の名は「谷口テイ」。

彼女は、福田平八郎が1915年(24歳)の時に下宿していた「谷口治三郎家」の次女にあたる女性である。

結婚を申し込みますが、生活が不安定な絵描きには特選でも取らないかぎり娘はやれない、と断られてしまいます。

美術展ナビ

上記の通り、最初2人の結婚は、テイの父・治三郎によって断られていたという。

しかし、1921年に福田平八郎が第三回帝展で出展した『鯉』が特選を獲得したことによって、結婚が認められ、2人は晴れて1922年に結婚に至っている。

結婚した1922年は、福田平八郎31歳の年であった。

子供:息子と娘が一人ずついる

福田平八郎には、子供が2人いることがわかっている。

福田平八郎の子供

  • 長男:宗平‐1926年3月15日
  • 長女:陽子‐1929年3月10日

上記の通り、長男が生まれたのは結婚の4年後、福田平八郎が35歳の時であった。

息子・宗平の職業などは不明だが、2007年に出版された『福田平八郎展』という書籍に寄稿していることはわかっている。

一方、1929年に生まれた娘の「陽子」は、1934年8月28日(5歳の時)に急逝している。

父親:文房具店を営んでいた「馬太郎」

福田平八郎の父親の名は「馬太郎」。

福田平八郎は1892年に文具店を営む父のもと、大分県に生まれています。

八光堂

上記の通り、福田平八郎の父・馬太郎は大分県で「文房具店」を営んでいた。

元々、父・馬太郎は薬種業「中尾義三商店」の大番頭(商店の使用人の長)を務めていたのだが、自宅の転居をきっかけに学童向けの文房具店を始めた。

母親:「安(あん)」は1936年に他界

福田平八郎の母親の名前は「安(あん)」。

母親・安の年齢や職業などは不明だが、1936年、福田平八郎が45歳の時に安は他界している。

ちなみに、福田平八郎は作品には「馬安」という印が押されているが、これは父親の「馬太郎」と母親の「安」という名前から来ている。

兄弟姉妹:弟がいたが3歳の時に他界

福田平八郎は、父・馬太郎と母・安の長男として1892年に誕生。

その後、弟も誕生したのだが、彼は3歳の時に亡くなっており、平八郎は実質的に一人息子として育てられた。

弟も誕生するものの3歳の時に亡くなり、以後一人息子として両親から大きな愛を受けながら育ちました。

八光堂

弟の死因などは不明だ。

福田平八郎の家族構成【妻・子供・父親・母親・兄弟】

福田平八郎の家族構成まとめ

  • 妻:谷口家の娘「谷口テイ」
  • 子供:息子と娘が一人ずついる
  • 父親:文房具店を営んでいた「馬太郎」
  • 母親:「安(あん)」は1936年に他界
  • 兄弟姉妹:弟がいたが3歳の時に他界

今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

  • URLをコピーしました!
目次