倉俣史朗の家族構成【妻・子供・娘・息子・父母は何者?】
妻・倉俣美恵子はクラマタデザイン事務所の代表
倉俣史朗の妻・倉俣美恵子は現在、史朗が立ち上げた「クラマタデザイン事務所」の代表を務めている。
資料の整理や作品の維持管理などを行ているようだ。
そんな妻・美恵子は、過去のインタビューで以下のように語っている。
倉俣が急逝し30年以上が経ちました。私は彼のデザインに囲まれ穏やかな気持ちで暮らしています。「自分はアーティストではなくデザイナーだ」と言った彼は、思いや考えを形にすることを大事にしていました。そんな彼のデザインに対する姿勢が物となって優しく語りかけてくるようです。
朝日新聞
倉俣史朗が急性心不全のため、1991年に他界してから約30年。
そんな彼の存在を、彼の残した作品を通して今でも感じ取ることができる。
これほど尊いことはないだろう。
子供は2人”以上”いる
倉俣史朗と恵美子の間には2人”以上”の子供がいる。
倉俣史朗の子供
- 息子:倉俣一朗
- 娘 :倉俣晴子
”以上”と注意書きしたのは、上記の2人以外にも子供がいる可能性があるからだ。
しかし、過去の記事やインターネットのサイトで見つけられたのは、上記の2人の子供の存在だけであったため、今回は”以上”ということにしておいた。
息子・一朗はデザイナー
倉俣史朗の息子の名は「倉俣一朗」。
一朗も父親と同様にデザイナーをしている。
年齢や詳しい職業内容などは不明だ。
娘・晴子(ハルちゃん)は体が弱かった
倉俣史朗の娘の名は「倉俣晴子」。
56歳の若さでこの世を後にした倉俣史朗だが、晴子は50歳を過ぎてから授かった娘だという。
妻の恵美子は、父親と娘の関係性について以下のように語っている。
「娘と遊ぶことが好きで、遊びや遊び道具もいろいろ自分でつくって楽しんでいました。子ども用の机や椅子などの家具もつくったり。そういうことは惜しみなく…どこからエネルギーが出てくるのかなというぐらいでした」
倉俣史朗を語ろう|勉強会
また、娘の晴子は、原因不明の病に侵されるなど、生まれつき体が弱い子だったそう。
しかし、そんな体の弱い娘に悩んでいたころに生み出されたのが、倉俣史朗の代表作でもある、赤い造花の薔薇が透明のアクリルで作られた椅子に埋め込まれた『ミス・ブランチ』という椅子であった。
『ミス・ブランチ』は、史朗の親友で彫刻家の「田中信太郎」が晴子へのお土産として造花をプレゼントしたことがきっかけに生まれた彼の傑作だ。
これはあくまで想像だが、倉俣史朗はこの椅子に娘の命を重ね合わせたのではないだろうか。
父・吉治は理化学研究所に勤務していた
倉俣史朗の父親は、東京都文京区にある理化学研究所に勤務していた。
敷地内に散らばる薬瓶、資材や建材が転がる建築現場などが自身の原風景にあるという。
casa
倉俣史朗は、父親の仕事自体ではなく、職場の環境やそこにあったモノに興味を示したということなのだろう。
母・清に関する情報は不詳
倉俣史朗の母親に関する情報は不詳。
しかし、Wikipediaには、名前が「清」であるということだけが書かれていた。
倉俣史朗の家族構成【妻・子供・娘・息子・父母は何者?】まとめ
倉俣史朗の家族構成
- 妻・倉俣美恵子はクラマタデザイン事務所の代表
- 子供は2人”以上”いる
- 息子・一朗はデザイナー
- 娘・晴子(ハルちゃん)は体が弱かった
- 父・吉治は理化学研究所に勤務していた
- 母・清に関する情報は不詳
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。