三國清三の家族構成【父親・母親・兄弟・妻嫁・子供は何者?】
父親:北海道増毛町で漁師をしていた
三國清三(みくにきよみ)は、1954年に北海道北西部に位置する「増毛町(ましけちょう)」に生まれた。
父親の名は「正」。
増毛町はかつて、ニシンが大量にとれる街として知られており、三國清三の父親もニシン漁で生計を立てていた。
しかし、清三が生まれた頃からニシンが徐々に取れなくなり始め、三國一家は厳しい生活を余儀なくされてしまったのだった。
僕が生まれる前の年からニシンがパタリと獲れなくなり、無一文になりました。借金のかたとして家を取られ、僕が物心ついた時には貧乏のどん底。
家族葬のファミーユ
そんな苦しい生活を支えたのは母親だったという。
母親:農業をしていた
三國清三の母親の名は「亮子」。増毛町で農業を営んでいた。
母が農業をしていたので、食べ物には不自由しませんでしたが、兄も姉も中学を出て働いていました。
日本経済新聞
上記の通り、父親の漁業が上手くいかない間、母親の亮子が、農業で育てた食材で家計を支えていたようだ。
兄弟:7人兄弟の三男として生まれた
三國清三はなんと、7人兄弟の三男として生まれた。
7人兄弟姉の三男(兄2人、姉2人、弟2人)として生まれ育ったという。
テレ朝POST
こんな大家族だが、前述していた通り家計は相当厳しい状態だったため、兄や姉はみな、中学を卒業してすぐに働きに出ていたそう。
しかし、どうしても進学したかっという三男の清三は、札幌にある米穀店に住み込みで働きながら、夜間の料理学校に通ったのである。
妻(嫁):久美子はオテル・ドゥ・ミクニで25年間接客をしていた
三國清三の妻の名は「三國久美子」。
三國清三が設立したフレンチレストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」で25年にわたり接客を担当していた人物だという。
しかし、オテル・ドゥ・ミクニは、三國清三が70歳を迎えることを意識して、2022年末に閉店している。
その後、妻の久美子氏が何をしてるのかは不明である。
子供:娘が一人。ウィーン大学でポスドクをしている
三國清三とその妻・久美子の間には一人娘がいる。
名前は「三國珠杏(じゃん)」。三國清三が尊敬するフランス料理人から名付けた名前だという。
そんな三國珠杏は、2023年時点、ウィーン大学のポスドクをしていることがわかっている。
ポスドクとは、博士号取得後に任期制の職に就いている研究者のことである。
娘(25)がいますが、最近、急に後を継ぎたいと言ってくれました。
日本経済新聞
さらに、上記の通り、将来的に娘・珠杏は、父親の後を継ぐ予定であるそう。
三國清三の娘「珠杏」とは何者?
![](https://mtakeblog.net/wp-content/uploads/2024/03/Slide1-6-300x169.jpg)
三國清三の家族構成【父親・母親・兄弟・妻・娘は何者?】まとめ
三國清三の家族構成まとめ
- 父親:北海道増毛町で漁師をしていた
- 母親:農業をしていた
- 兄弟:7人兄弟の三男として生まれた
- 妻(嫁):久美子はオテル・ドゥ・ミクニで25年間接客をしていた
- 子供:娘が一人。ウィーン大学でポスドクをしている
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。