富岡鉄斎の家族構成【妻・子供・父親・母親・兄弟】
富岡鉄斎の家族構成
- 妻:富岡鉄斎は2度の結婚歴あり
- 子供:腹違いの2人の子供がいる
- 父親:法衣商の「富岡維叙」
- 母親:荻野氏の娘「絹」
- 兄弟姉妹:異母兄が一人いた
妻:富岡鉄斎は2度の結婚歴あり
富岡鉄斎には、1867年と1872年の2度、結婚歴がある。
富岡鉄斎の結婚歴
- 1867年:画家・中島華陽の娘「達(たつ)」
- 1872年:愛媛県大洲市長浜町に生まれた「春子(旧姓・佐々木ハル)」
上記の通り、富岡鉄斎は1867年(30歳の時)に、幕末・明治に活躍した画家「中島華陽」の娘「達(たつ)」と結婚している。
達との間にはその後、娘も誕生するが、達は結婚から2年後の1969年に21歳の若さで他界してしまう。
その後、富岡鉄斎は現在の愛媛県大洲市長浜町に生まれた女性「春子(旧姓・佐々木ハル)」と1972年に結婚。
この春子は、富岡鉄斎の生涯の伴侶となる。
子供:腹違いの2人の子供がいる
富岡鉄斎には、腹違いの子供(娘・息子)が2人いる。
富岡鉄斎の子供
- 長女:秋(1868年~1896年、没29歳)
- 長男:謙蔵(1873年~1918年、没46歳)
1968年に生まれた長女「秋」は、一人目の妻・達との間に生まれた娘である。
一方で、1873年に生まれた長男「謙蔵」は、二人目の妻・春子との間に生まれた息子だ。
そして、長男の謙蔵は、東洋史学者となり、後に京都帝国大学文科大学講師にも着任したが、その後1918年に46歳の若さで亡くなった。
父親:法衣商の「富岡維叙」
富岡鉄斎の父親の名は「富岡維叙(これのぶ)」。
父・維叙は、京都新町三条の法衣店「十一屋伝兵衛」で法衣商をしている人物だった。
ちなみに、「法衣」を辞書で調べたら、以下のような意味が出てきた。
僧尼の着用する衣服。もとは戒律に定められた五条などの袈裟 (けさ) をいったが、日本ではさらにこの下に着用するものをも含めて総称する。
goo辞書
上記の事から、法衣商とは、僧尼の着用する衣服を販売した商人の事のようだ。
母親:荻野氏の娘「絹」
富岡鉄斎の母親の名は「絹」。
母親・絹に関しては、以下のような情報がわかっている。
母は丹波国(兵庫県)氷上郡黒井村の荻野氏の女絹で、維叙の3度目の妻である。
アートまとめん
上記の通り、父親・維叙の3番目の妻のようで、丹波国(兵庫県)氷上郡黒井村の荻野氏の娘であったようだ。
兄弟姉妹:異母兄が一人いた
富岡鉄斎には、異母兄が一人いたことがわかっている。
異母兄の名は「敬憲」。
45歳のとき(1881)に兄伝兵衛が死に,大阪の宮司の職を辞して京都に帰り,上京区室町通一条下ル薬屋町に住んで,その後は読書と書画の制作に専念する。
コトバンク
上記の通り、兄は富岡鉄斎が45歳の時に他界し、それをきっかけに、鉄斎は故郷の京都に帰り、書画の制作に専念したということだ。
富岡鉄斎の家族構成【妻・子供・父親・母親・兄弟】
富岡鉄斎の家族構成まとめ
- 妻:富岡鉄斎は2度の結婚歴あり
- 子供:腹違いの2人の子供がいる
- 父親:法衣商の「富岡維叙」
- 母親:荻野氏の娘「絹」
- 兄弟姉妹:異母兄が一人いた
今回はこれで以上になります。
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