河井寛次郎の家族・家系図【妻・子供・娘・父母・孫・甥】

目次

河井寛次郎の家系図

河井寛次郎の家系図は上記の通り。

以下では、河井寛次郎の具体的な家族構成についてまとめていく。

河井寛次郎の家族構成【妻・子供・娘・父母・孫・甥】

河井寛次郎の家族構成

  • 妻:京都の宮大工の娘「つね」
  • 子供:1924年に一人娘「須也子」が生まれる
  • 父親:建設業を営んでいた「河井大三郎」
  • 母親:寛次郎が幼い時に亡くなった「河井ユキ」
  • 兄弟:4人兄妹の次男として生まれた
  • 甥:河井寛次郎の一番弟子「河井武一」
  • 孫:河井寛次郎記念館の学芸員をしている「鷺珠江」

妻:京都の宮大工の娘「つね」

河井寛次郎の妻の名は「河井つね」。

河井つねは京都の宮大工の娘で、河井寛次郎が30歳前後の年(1920年)に2人は結婚した。

現在、京都市東山区五条坂鐘鋳町に『河井寛次郎記念館』という博物館が存在するが、この博物館の初代館長を務めたのは、妻のつねであった。

子供:1924年に一人娘「須也子」が生まれる

河井寛次郎には、子供(娘)が一人いる。

名前は「須也子」。
1924年(大正13年)、河井寛次郎が34歳の時に生まれた一人娘であった。

娘・須也子は、河井寛次郎の妻・つねに代わり、河井寛次郎記念館の二代目館長も務めている。

さらに、須也子は2009年5月27日に『不忘の記(わすれじのき)』という著書を出版しており、本書の中では、父親・河井寛次郎との思い出などが切実に綴られている。

ちなみに、Googleのサジェストキーワードには「河井寛次郎 息子」と表示される場合もあるが、寛次郎には息子はいない。

著:河井須也子, 監修:鷺珠江, 読み手:鷺珠江
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父親:建設業を営んでいた「河井大三郎」

河井寛次郎の父親の名は「河井大三郎」。

河井大三郎は、島根県安来市で建設業(大工棟梁)を営んでいた

母親:寛次郎が幼い時に亡くなった「河井ユキ」

河井寛次郎の母親の名は「河井ユキ」。

彼女は、1894年(寛次郎が4歳の時)に亡くなっており、その後寛次郎自身は、里親・山崎家の世話になっている。

兄弟:4人兄妹の次男として生まれた

河井寛次郎は、4人兄妹の次男として1890年に生まれた。

河井寛次郎の兄弟姉妹構成

  • 兄 :河井善左衛門(家業を継いで大工棟梁に)
  • 本人:河井寛次郎
  • 妹 :不明
  • 妹 :不明

妹に関する情報は不詳だが、兄に関しては家業であった建設業を継いだことがわかっている。

兄の名は名は「河井善左衛門」。

ちなみに、兄・善左衛門は、河井寛次郎が生涯暮らした住まいでありながら、後に「河井寛次郎記念館」としても利用された建物の施工を行っている。

甥:河井寛次郎の一番弟子「河井武一」

河井寛次郎には「河井武一」という甥っ子がいる。

武一は、1927年から河井寛次郎のもとで陶磁器の修行をはじめ、寛次郎が没するまで40年近くにわたり一番弟子として河井寛次郎の指導を受けた。

さらに、河井武一は今でも続く「河井工房」の初代として名を刻んでおり、現在この工房は、武一の孫にあたる「河井亮輝」が三代目として受け継いでいる。

孫:河井寛次郎記念館の学芸員をしている「鷺珠江」

河井寛次郎の娘・須也子の三女に「鷺珠江」という女性がいる。

彼女は現在、「河井寛次郎記念館」の学芸員に従事。

祖父・河井寛次郎にかかわる展覧会企画のほか、出版・講演・資料保存などを執り行っている。

河井寛次郎の家族・家系図【妻・子供・娘・父母・孫・甥】まとめ

河井寛次郎の家族構成まとめ

  • 妻:京都の宮大工の娘「つね」
  • 子供:1924年に一人娘「須也子」が生まれる
  • 父親:建設業を営んでいた「河井大三郎」
  • 母親:寛次郎が幼い時に亡くなった「河井ユキ」
  • 兄弟:4人兄妹の次男として生まれた
  • 甥:河井寛次郎の一番弟子「河井武一」
  • 孫:河井寛次郎記念館の学芸員をしている「鷺珠江」

今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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