大江健三郎の家系図
大江健三郎の家系図は上記の通り。
以下では、大江健三郎の具体的な家族構成について解説していく。
大江健三郎の家族構成【父親・母親・兄弟・妻・子供は何者?】
父親:大江好太郎は9歳の時に病死している
大江健三郎の父親の名は「大江好太郎」。
彼は、大江健三郎が9歳の時に、病気で亡くなっている。
好太郎は農家から紙の原料の三椏を買いとり、加工して、内閣印刷局へ紙幣用に納めるという仕事をしていた
Wikipedia
大江健三郎にとって、幼い時の父親の死は、自身の人格形成に深く影響したようで、2009年に発行された『水死』という小説の中では、自身の父親とリンクするような内容の物語を描いている。
母親:大江小石は中国文学に傾倒していた
大江健三郎の母親の名は「大江小石」。
大江健三郎は自身の母親について、以下のように話している。
「文学への啓蒙を開いてくれた最初の師は、中国文学に深く傾倒していた母でした。その日記に残っていた記述によると、30年代初期、母は父と共に中国を訪れています。」
中国文学の遺伝子
上記の通り、母親は中国文学に傾倒しており、大江健三郎自身もそんな母親の影響を強く受けたという。
さらに、大江健三郎が日本人で2人目のノーベル文学賞に輝いた際、母親小石は、健三郎に対して以下のように話したという。
「アジアの作家の中でノーベル文学賞に最もふさわしいのは、タゴールと魯迅です。健三郎は、それに比べたらずっと落ちますよ」
中国文学の遺伝子
タゴールはインドの詩人、魯迅は中国の作家の名である。
ユーモアのある母親だったことが、このやり取りから窺い知れる。
兄弟姉妹:7人兄弟の5番目として生まれた
大江健三郎は、7人兄弟姉妹の5番目の息子として、1935年に愛媛県で生まれた。
構成としては、兄が2人、姉が2人、弟が1人、妹が1人いたという。
家庭は豊かではなく、七人の子供のなかで、大学に行かせることができるのはただ一人、という条件のもと、母は、大作家になると信じた息子を選び、東京で学問をさせることにした。
中国文学の遺伝子
上記の通り、兄弟姉妹の中では、大江健三郎が一人だけ大学(東京大学)に進学しているようだ。
妻:大江ゆかりは映画監督「伊丹十三」の妹
大江健三郎は1960年、映画監督・伊丹十三の妹である「ゆかり」と結婚している。
伊丹十三は、映画監督としてだけではなく、俳優やエッセイストなど幅広い分野で才能を発揮した人物である。
伊丹十三と大江健三郎は、松山東高等学校の同級生であり、2人が義理の兄弟になってからは、より一層親交を深めたという。
ちなみに、伊丹十三は1997年に投身自殺で亡くなっているが、この自殺と、大江健三郎と伊丹十三の関係を描いた『取り替え子(チェンジリング)』という小説を1997年に発表している。
子供:3人いる。長男は作曲家の大江光
1994年にノーベル文学賞を受賞した作家の #大江健三郎 さんが、今月3日に老衰のため88歳で亡くなりました。写真は2005年4月、自宅でのインタビューの合間にくつろぐ大江健三郎さんと、息子で作曲家の #大江光 さんです。
— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) March 13, 2023
写真特集→https://t.co/hzjgr4bKct pic.twitter.com/sVKUJGkCPr
大江健三郎には、3人の子供がいる。
大江健三郎の子供
- 長男:大江光‐作曲家
- 次男:大江桜麻
- 長女:大江菜摘子
上記の通り、大江健三郎の子供は長男・次男・長女という構成だが、長男の大江光は作曲家として活躍している。
さらに、長男の大江光は知的障害を持って産まれており、そんな息子のことを大江健三郎は『静かな生活』『新しい人よ眼ざめよ』などの小説のテーマ・題材として取り上げている。
長男・大江光について
大江健三郎の家族・家系図【父親・母親・兄弟・妻・子供は何者?】まとめ
大江健三郎の家族構成まとめ
- 父親:大江好太郎は9歳の時に病死している
- 母親:大江小石は中国文学に傾倒していた
- 兄弟姉妹:7人兄弟の5番目として生まれた
- 妻:大江ゆかりは映画監督「伊丹十三」の妹
- 子供:3人いる。長男は作曲家の大江光
今回はこれで以上になります。
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