夏目漱石の家系図
夏目漱石の家系図は上記の通り。
以下では夏目漱石の具体的な家族構成について解説していく。
夏目漱石の家族構成【両親・兄弟・妻・子供は何者?】
両親:里子や養子に出されたが、後に実親の元に戻ってきた
夏目漱石は1867年、町名主という権力者だった父親「夏目小兵衛直克」と、母親「千枝」の間に、8人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。
出産時、母千枝は41歳という高齢であったことや、8番目の子供であることなどから、夏目漱石は生後4ヶ月にして里子に出された。
その後の経歴は、少し複雑であるため、箇条書きでまとめる。
夏目漱石の生い立ち
- 0歳 :江戸の牛込馬場下で生まれる
- 4か月:里子に出される
- 1歳 :父親の友人であった塩原家に養子に出される
- 9歳 :塩原夫妻が離婚したため正家へ戻る
- 21歳 :復籍する
上記の通り、夏目漱石は生まれてすぐ、里子に出されたり、養子に出されたりと、複数の家をたらいまわしにさせられた。
結局、9歳の時に実の両親のもとへ戻ってきたものの、実父と養父の対立が原因で、21歳まで復籍されずにいたという。
父親:町名主という権力者だった
夏目漱石の実の父親の名は「夏目小兵衛直克(なつめ こへい なおかつ)」。
江戸時代、町の支配に当たった「町名主」をしていた権力者だったという。
夏目漱石が生まれた時、父親は50歳だった。
母親:41歳での高齢出産だった
夏目漱石の実の母親の名は「夏目千枝(ちえ)」。
漱石の母親の千枝は小宮豊隆の評伝『夏目漱石』では遊女屋の娘であったとされている
Wikipedia
そんな千枝は、夏目漱石を41歳という高齢で出産した。
兄弟:8人兄弟姉妹の末っ子として生まれた
夏目漱石は、8人兄弟姉妹の末っ子として1867年に生まれている。
父親「夏目小兵衛直克」と母親「夏目千枝」の間の子は6人(五男・一女)だったが、父親は再婚であったため、前妻との間に2人の娘がいた。
そのため、兄弟姉妹構成としては「男5+女3」ということになる。
妻:貴族院書記官長中根重一の長女「中根鏡子」
夏目漱石の妻の名は「中根鏡子」。
彼女は、貴族院書記官長であった中根重一の長女にあたる、いわば「お嬢様」身分の子であった。
そんな妻・鏡子と夏目漱石の物語は、2016年にNHKドラマ『夏目漱石の妻』で映像化されている。
子供:7人の子供(二男五女)がいた
夏目漱石と妻・鏡子の間には、7人の子供が生まれた。
夏目漱石の子供
- 長女:筆子(1899年)
- 次女:恒子(1901年)
- 三女:栄子(1903年)
- 四女:愛子(1905年)
- 長男:純一(1907年)‐ヴァイオリニスト
- 次男:伸六(1908年)‐随筆家
- 五女:雛子(1910年)
上記の通り、妻・鏡子は1~2年のペースで7人の子供を出産している。
さらに、長男はヴァイオリニストとして、次男は随筆家として活動したこともわかっている。
夏目漱石の家系図・家族構成【両親・兄弟・妻・子供は何者?】まとめ
夏目漱石の家族構成まとめ
- 両親:里子や養子に出されたが、後に実親の元に戻ってきた
- 父親:町名主という権力者だった
- 母親:41歳での高齢出産だった
- 兄弟:8人兄弟姉妹の末っ子として生まれた
- 妻:貴族院書記官長中根重一の長女「中根鏡子」
- 子供:7人の子供(二男五女)がいた
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。