松本清張の家族構成【妻・子供・娘・父親・母親・兄弟は何者?】
松本清張の家族構成
- 妻(嫁):佐賀県人の「内田ナヲ」と結婚
- 子供:娘が1人、息子が3人
- 父親:幼くして里子に出された「松本峯太郎」
- 母親:紡績工場で働いていた女性「岡田タニ」
- 兄弟姉妹:姉が2人いたが、生後間もなく亡くなった
妻(嫁):佐賀県人の「内田ナヲ」と結婚
松本清張は1936年11月、26歳の時に佐賀県人であった「内田ナヲ」という女性と結婚している。
内田ナヲと松本清張は、ナヲが裁縫を習いに通っていた近所の寺の住職を介して知り合い、その後、見合い結婚という形で結ばれることとなった。
結婚後、2人の間には4人の子供が生まれている。
子供:娘が1人、息子が3人
松本清張と内田ナヲの間には、娘が1人・息子が3人の計4人の子供がいた。
松本清張の子供
- 長女:淑子(1938年1月生まれ)
- 長男:陽一(1940年3月生まれ)
- 次男:昭 (1942年6月生まれ)
- 三男:隆晴(1946年7月生まれ)
娘・淑子は、後に外務省の役人で駐ロシア大使・外務審議官を務めた「渡辺幸治」という男性と結婚していることがわかっている。
その他、息子に関する情報は見当たらなかった。
もし、現在もご存命であるなら、長女は86歳、長男は84歳、次男は81歳、三男は77歳ということになるだろう。
父親:幼くして里子に出された「松本峯太郎」
松本清張の父親の名は「松本峯太郎」。
峯太郎は元々、鳥取県日野郡日南町で地主をしていた裕福な家庭「田中家」の長男として生まれたが、生後間もなくして松本家に里子に出される。
父が里子に出されるという運命がなかったら、その地方ではともかく指折りの地主のあととりとして、自分の生涯を苦しめた貧乏とは出会わずにすんだであろう。
父系の指
上記の通り、里子に出された父親・峯太郎は、裕福な生まれの家とは対照的に、貧しい暮らしを余儀なくされるのであった。
その後、父・松本峯太郎は、陸軍の衛戌病院で看護雑役に就いたことがわかっている。
母親:紡績工場で働いていた女性「岡田タニ」
松本清張の母親の名は「岡田タニ」。
広島県賀茂郡志和村で農家をしていた家の娘で、彼女自身は広島市内の紡績工場で働いていたという。
そんな岡田タニと松本清張の間には、3人の子供が生まれたが、生き残ったのは松本清張だけだったようだ。
兄弟姉妹:姉が2人いたが、生後間もなく亡くなった
松本清張の兄弟姉妹に関しては、以下のような情報がある。
両親の貧乏生活は続く。女児2人が生後間もなく亡くなり、明治42(1909)年2月に清張が広島で生まれた。
中國新聞
上記の事から、松本清張には2人の姉がいたようだが、彼女らは生後間もなくして亡くなってしまったようだ。
そのため、実質的に清張は一人っ子として育ったのだろう。
松本清張の家族構成【妻・子供・娘・父親・母親・兄弟は何者?】まとめ
松本清張の家族構成まとめ
- 妻(嫁):佐賀県人の「内田ナヲ」と結婚
- 子供:娘が1人、息子が3人
- 父親:幼くして里子に出された「松本峯太郎」
- 母親:紡績工場で働いていた女性「岡田タニ」
- 兄弟姉妹:姉が2人いたが、生後間もなく亡くなった
今回はこれで以上になります。
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