伊丹十三とは?
伊丹十三のプロフィール
- 本名:池内義弘
- 職業:映画監督・俳優etc.
- 出身:京都府
- 生誕:1933年5月15日
- 死没:1997年12月20日(64歳)
伊丹十三(いたみじゅうぞう)は、昭和の時代を生き、映画監督・俳優・エッセイストなど幅広い分野で才能を発揮した人物です。
特に映画監督としては、『お葬式』や『タンポポ』など大ヒット作品を数多く残したことで知られていますが、監督デビューは1981年。51歳の時でした。
映画監督になる以前は、映画編集・商業デザイナーを経て俳優に転身。俳優としても、映画『家族ゲーム』やドラマ『北の国から』など、数多くの人気作品に出演しています。
そんなマルチな才能を持った伊丹十三ですが、1997年にマンションから飛び降り、突如この世を去りました。
伊丹十三の死因【自殺・他殺説の真相とは?】
1997年「投身自殺」で死亡
1997年12月20日の午後6時40分ごろ、東京都港区麻布台のマンションの駐車場で、男が血を流して倒れていると110番・119番に通報がありました。
駆け付けた救急隊員によって男は都立広尾病院に運ばれましたが、間もなく死亡が確認されます。
その後、投身自殺を図ったとみられる男は日本を代表する映画監督「伊丹十三」であることが判明。
名監督の突然の死であったため、世間では様々な憶測が飛び交いました。
遺書によると「潔白を証明するため」に自殺した
伊丹十三がいなくなった事務所には、彼の遺書らしきものが残されていました。
そして、その遺書には、マスコミあてに以下のような内容が書かれていたようです。
死をもって潔白を証明します。何もなかったというのは、これ以外の方法では立証できないのです
スポニチ
この「潔白を証明する」というのは、写真週刊誌『フラッシュ』により報じられた不倫疑惑についてだと言われています。
死の直前は酩酊状態だった
伊丹十三さんのご遺体は司法解剖が行われました。
その結果、胃の中に大量の酒が残っているのが確認され、死の直前は酩酊状態だったことも分かっています。
このことから、世間では「突発的に自殺願望にかられたのか?」など、様々な憶測が飛び交ったようです。
伊丹十三の死の疑惑
伊丹十三の自殺した際には、当然の死であったこともあり、様々な憶測が世間で飛び交いました。
以下に、当時挙げられた疑惑を3つ挙げます。
疑惑① 遺書がワープロで書かれていた
伊丹十三の遺書は、手書きではなくワープロで書かれていました。
しかし、伊丹十三は、1961年に刊行された『伊丹万作全集』のタイトルを自身で描くなど、書き文字には強いこだわりを持っていたことでも知られています。
また、伊丹十三の次男・池内万平もあるインタビューで以下のように語っています。
伊丹さんは、明朝体を書かせたら日本一、と言われるくらい達筆な人だった
池内万平
これらの事実から、「死の直前とはいえ、あの伊丹十三がワープロで遺書を書くのだろうか?」という疑惑が持ち上がったようです。
疑惑② 不倫ぐらいで自殺する男ではない
不倫疑惑の潔白を証明するために自殺したとされる「伊丹十三」。
このことについて、伊丹十三をよく知る映画監督「大島渚」や落語家「立川談志」は、以下のように語ったと言います。
「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」
スポニチ
これらの証言によって、「本当に伊丹十三は自殺なのか?」という疑問が世間では強くなりました。
疑惑③ 暴力団の関与を疑う声も挙がった
1992年に公開された映画『ミンボーの女』。
この映画で伊丹十三は、ホテルを食い物にするヤクザに対して、ミンボー(民事介入暴力)専門の女弁護士が勇敢に戦う姿を描いています。
しかし、この映画が公開された直後、伊丹十三は刃物を持った5人組に襲撃され、全治3ヶ月の重傷を負いました。
その後、警察の調査によってこの事件の犯人は、暴力団関係者だということが判明。暴力団をテーマとして『ミンボーの女』が、彼らの反感を買ってしまったようです。
さらに、1993年にも、映画『大病人』を上映していたの映画館のスクリーンを男が切り裂くという事件が起こるなど、伊丹十三は様々な危険な目に合っていました。
これらのことから、「伊丹十三の死には、暴力団員など伊丹十三を恨む人物が関わっているのではないのか?」という憶測も飛び交いました。
まとめ
以上の内容をまとめます。
伊丹十三の死について
- 1997年「投身自殺」で死亡
- 遺書によると「潔白を証明するため」に自殺した
- 死の直前は酩酊状態だった
死の疑惑について
- 疑惑① 遺書がワープロで書かれていた
- 疑惑② 不倫ぐらいで自殺する男ではない
- 疑惑③ 暴力団の関与を疑う声も挙がった
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。