小林照子のプロフィール
小林照子のプロフィール
- 生誕:1935年2月24日 (88歳)
- 出身:東京都練馬区
- 職業:美容研究家 ・ メイクアップアーティスト
「化粧品会社コーセーの元取締役」「メイクアップアーティスト」「美容専門高校の学園長」など、様々な肩書を持つ美容業界の第一人者・小林照子。
1935年東京都練馬区に生まれた彼女は、1958年に株式会社コーセーに入社し、1985年には同社の取締役にまで上り詰めた。
その後、独立を果たした彼女は、美容商品の開発やコンサルティングなどを行う「美・ファイン研究所」を設立。
さらに、1994年にはメイクアップアカデミー「フロムハンド」、2010年には美容専門高校「青山ビューティ学院高等部東京校」を開設し、後進の育成にも尽力している。
今回は、そんな美容業界の草分け・小林照子氏の家族構成(夫・娘・両親・兄弟との関係)についてまとめている。
小林照子の家族構成【夫・娘・両親・兄弟は何者?】
夫:常浩(会社経営者)
小林照子氏は若いころから「仕事人間」として知られていた。
しかし、そんな彼女も27歳の時、親戚の勧めで「常浩」という男性と結婚。
夫は自営で新しい会社をつくり、業績を伸ばしていました。
AERA dot.
上記の通り、あるインタビューでは、常浩氏が自営業者であることも明かしています。
一方、照子氏はご自身の夫婦の事を「卒婚(離婚はしないで、夫婦がそれぞれの人生を楽しんでいく形態)」のはしりだったとも話している。
仕事に生きた小林照子氏にとって、卒婚という当時としては珍しい夫婦の在り方が、最も適していたのかもしれない。
ちなみに、夫・常浩氏は2005年にこの世を後にしている。
娘:ひろ美
妻・照子と夫・常浩の間には一人の娘がいる。
出産したのは結婚から2年後。名前は「ひろ美」である。
そんな娘・ひろ美は、照子が独立して最初に設立した「美・ファイン研究所」の立ち上げに携わり、現在は同社の代表を務めている。
「美・ファイン研究所」の立ち上げ当初は、母の裏方でいいと考えていた。美容の世界では母に及ばない、という気持ちもあったそうだ。
週刊女性PRIME
上記の通り、最初は母・照子に対する劣等感も多少あったようだ。
しかし、現在は「母がプロ向けなら、自分は一般の人向けの美容を、」という心意気のもとで、美容業界で活動しているようだ。
小林照子には親が5人いた
週刊女性PRIMEの記事には、以下のような記載がある。
3歳で両親が離婚。兄と妹の3人きょうだいだったが、兄とともに父に引き取られる。父は再婚したが7歳のときに死別。その後、父の再婚相手である継母の兄夫婦の養女となる。
週刊女性PRIME
つまり、小林照子にとって親は、下記の5人いるというわけである。
- 実母(3歳の時に離別)
- 実父(7歳の時に死別)
- 継母(実父の再婚相手)
- 養父(継母の兄)
- 養母(養父の嫁)
なかなか複雑な幼少期を過ごしたようだ。
しかし、この経験こそが、美容業界の第一人者とまで呼ばれる小林照子の強さを作り出したのかもしれない。
兄弟姉妹は2人いた
上記で引用した週刊女性PRIMEの記事に会った通り、小林照子には2人の兄弟姉妹(兄と妹)がいた。
兄弟の現在については不詳である。
まとめ
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
小林照子の生い立ち
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