フォトジャーナリスト・豊崎博光(とよさきひろみつ)。
世界の核実験場、ウラン鉱石採掘場、原子力発電所など、「核」に関する数多くの施設を訪れ、それらの施設が環境や地域社会へ及ぼす影響を克明に記録するフォトジャーナリストとして知られている。
今回は、そんなフォトジャーナリスト豊崎博光の経歴・生い立ち・学歴をまとめてみた。
豊崎博光の経歴・生い立ち・学歴【フォトジャーナリスト】
豊崎博光の経歴・生い立ち・学歴
- 1948年:横浜市に生まれる
- 1968年:東京写真専門学院・報道写真科二部卒業
- 1969年:返還前の沖縄や在日朝鮮人・韓国人などを取材
- 1978年:核問題の取材をはじめる
- 1995年:「平和・協同ジャーナリスト基金賞」受賞
- 2005年:「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」受賞
1948年:横浜市に生まれる
豊崎博光は、戦後間もない1948年に神奈川県横浜市で生まれた。
1968年:東京写真専門学院・報道写真科二部卒業
豊崎博光は高校卒業後、東京都にある写真専門学校「東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)」に進学した。
専攻は報道写真科二部。
民主化要求を旧ソ連軍が抑え込んだハンガリー動乱を伝えた米雑誌「ライフ」を高校生の時に読み、写真の力に魅せられ専門学校へ。
沖縄タイムス
上記の通り、高校生の時に読んだ雑誌をきっかけに、写真家としての道を歩み始めたという。
1969年:返還前の沖縄や在日朝鮮人・韓国人などを取材
1968年に専門学校を卒業した豊崎博光は、その後フリージャーナリストとして活動を始める。
最初に取材したのは、返還前の沖縄や在日朝鮮人・韓国人などであったよう。
1978年:核問題の取材をはじめる
現在、核問題を中心に取り扱うフォトジャーナリストとして名を広めている豊崎博光。
そんな豊崎博光に、核問題への意識を芽生えさせたのは、1978年に行った、アメリカ核実験で被害を受けたマーシャル諸島の人々への取材であった。
彼はこの取材を機に、世界の核実験場やウラン鉱石採掘場、原子力発電所などの核に関する施設やその周辺地域を訪れては、核のリアルを写真に収めていくのである。
1995年:「平和・協同ジャーナリスト基金賞」受賞
豊崎博光は1995年に『アトミック・エイジ-地球被曝 はじまりの半世紀』という写真集を出版。
この写真集は、豊崎博光が17年の間に取材した核のリアルを、117枚の写真と文章でまとめたフォト・ドキュメントとなっている。
そして、この写真集は第一回「平和・協同ジャーナリスト基金賞」を受賞した。
「平和・協同ジャーナリスト基金賞」とは、平和と協同に関する優れた作品を発表したり、業績を残したジャーナリストらを年1回顕彰する賞の事である。
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2005年:「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」受賞
さらに、2005年8月には『マーシャル諸島 核の世紀(上下)』という核被曝史なる本を出版。
この本で豊崎博光は「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」を受賞した。
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞とは、年に一度、優れたジャーナリズム活動や作品に対して贈られる賞の事である。
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豊崎博光の経歴・生い立ち・学歴【フォトジャーナリスト】まとめ
豊崎博光の経歴・生い立ち・学歴
- 1948年:横浜市に生まれる
- 1968年:東京写真専門学院・報道写真科二部卒業
- 1969年:返還前の沖縄や在日朝鮮人・韓国人などを取材
- 1978年:核問題の取材をはじめる
- 1995年:「平和・協同ジャーナリスト基金賞」受賞
- 2005年:「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」受賞
今回はこれで以上になります。
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