平野レミのプロフィール
平野レミのプロフィール
- 生誕:1947年3月21日(76歳)
- 出身:東京都
- 職業:料理愛好家・シャンソン歌手
明るい性格・息もつかないほどの早口など、魅力的なキャラクターでお茶の間を賑わすタレント「平野レミ」。
現在は料理番組への出演が多いため「料理愛好家」としてのイメージが定着しているが、実は当初は「シャンソン歌手」として芸能界デビューを果たしている。
料理愛好家として活躍するようになったきっかけは、以前から交流のあった作曲家・八木正生の推薦があり、『四季の味』という雑誌で料理に関するエッセイを書いたことだった。
このエッセイで注目を集めた平野レミは、以後、料理番組やラジオ放送、CMなど様々な媒体に料理愛好家として出演。
さらに、料理関連の書籍を複数出版したり、深型フライパン「レミパン」を発売するなど、料理愛好家としての活動は多岐にわたっている。
平野レミの生い立ち・経歴
平野レミの生い立ち・経歴
- 1947年:東京都に生まれる
- 1962年:上野高校に入学するも中退
- 在学中 :「日航ミュージックサロン」で歌手デビュー
- 1970年:『誘惑のバイヨン』でレコードデビュー
- 1972年:イラストレーター和田誠と結婚
- ??? :『四季の味』で料理エッセイを書く
- 1985年:NHK『きょうの料理』に初出演
- 1988年:CD『聞かせてよ~シャンソン・ド・レミ』発売
- 2001年:深底フライパン「レミパン」発売
- 2006年:CD『私の旅』発売
1947年:東京都に生まれる
東京都に生まれ、千葉県松戸市の自然の中で育った平野レミ。
父親はフランス文学者の「平野威馬雄」、母親は日本人である。
そして彼の父親(平野レミの祖父)はアメリカ人であったため、平野レミはアメリカと日本のクォーターということになる。
平野レミの家族構成
1962年:上野高校に入学するも中退&転学
平野レミは、親戚がみんなそうだったという理由から、1962年に東京の名門「都立上野高等学校」に進学。
しかし、名門校の厳しい校則や環境が、自由奔放な彼女の性に合わなかったのか、2年の途中で上野高校を中退。
その後は、ユニークな人材を多数輩出していた「文化学院」へ転入している。
在学中:「日航ミュージックサロン」で歌手デビュー
平野レミの学生時代、日本では空前のシャンソンブームが巻き起こっていた。
さらに、平野レミはある雑誌のインタビューで幼少期の頃を以下のように語っている。
うちにフランス人がいっぱい来て、父がもらったレコードがいっぱいあって、シャンソンがいつも流れていました。
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このように、時代や父の影響からシャンソンに興味を持った平野レミは、文化学院在学中にシャンソンを学び始める。
そして、習うだけではなく実際に歌手としてシャンソンを歌ってみたいと考えた彼女は、銀座にあったシャンソン喫茶「日航ミュージックサロン」のオーディションを受け、見事合格してしまうのである。
1970年:『誘惑のバイヨン』でレコードデビュー
日航ミュージックサロンなどで話題を呼んだ平野レミは、ある日レコード会社から声がかかり、シャンソン歌手としてレコードデビューすることになる。
しかし、シャンソンはまだ早いという理由で、デビューシングルは流行歌路線の『誘惑のバイヨン』という曲を発売。これが中ヒットする。
デビューシングルが中ヒットしてしまったためか、2nd、3rd、4thもシャンソンでなく流行歌路線を強制され、それにがっかりした平野レミは、2年程でレコード歌手を引退してしまうのだった。
1972年:イラストレーター和田誠と結婚
レコード歌手を引退した平野レミのもとに、ある日、TBSラジオからレポーター出演の誘いが来る。
そのラジオ番組は、局アナ・久米宏と平野レミが、関東周辺のスーパーから生中継するという内容だった。
そして、このラジオを聞いていた、久米宏の麻雀仲間・和田誠が平野レミにアプローチして来るのである。
その後、2人は結婚し、2人の息子を授かることとなる。
???:『四季の味』で料理エッセイを書く
結婚後、幸せな日常を送っていた彼女のもとに、料理愛好家・平野レミが生まれるきっかけとなる出来事が訪れる。
その出来事とは、かねてより平野レミが親しくしていた作曲家・八木正生に、以下のように尋ねられたことだった。
『四季の味』という雑誌にリレー・エッセイを書いたんだけど、次の人にバトンタッチしなきゃいけないんだ。レミちゃん、引き受けてくれない?
八木正生
この『四季の味』という雑誌はちょっと特殊で、エッセイを書いた人が次に書く人を指名するリレー形式を採用していた。
最初、平野レミは断ろうと思っていたそうだが、うまく言いくるめられ、結局このエッセイの仕事を引き受けたのだという。
1985年:NHK『きょうの料理』に初出演
『四季の味』のエッセイで注目を集めた平野レミは、1985年にNHKの料理番組『きょうの料理』に出演した。シャンソン歌手を引退して以来、久しぶりの表舞台である。
しかし、この出演の際には、彼女の独特な料理スタイルが賛否を呼ぶこととなる。
いつものやり方でトマトを手でぐしゃぐしゃっとつぶしたの。そしたら放送のあと、NHKに抗議の電話がいっぱいかかってきたんですって。「あの下品なやり方はなんだ」って。
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この反響を受けて、番組プロデューサーから注意を受けた平野レミは、以下のように答えたという。
「私は私のやり方しかできません」
remy
平野レミもさすがに「もうこれで料理番組の仕事は来ないか」と腹をくくっていたようだが、実際はそうはならなかった。
「下品だ!」といった意見よりも、「ユニークで面白い!」といった意見の方が多く上がったのである。
ここに、料理愛好家・平野レミが爆誕した。
1988年:CD『聞かせてよ~シャンソン・ド・レミ』発売
平野レミは、レコード歌手という立場に関しては1970年代前半に引退している。
しかし、引退後も銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里」では、シャンソンを歌っていた。
そんな姿を見染められたのか、平野レミは1988年に、シャンソンCD『聞かせてよ~シャンソン・ド・レミ』を発売することとなる。
以前のシャンソン歌手デビューは、正直見せかけのものであったため、実質的に平野レミのシャンソン歌手デビューはこの時になるだろう。
2001年:深底フライパン「レミパン」発売
独特なキャラクターで料理愛好家としての地位を確立した平野レミ。
そんな彼女は、2001年に株式会社オダジマと共同開発した深底フライパン「レミパン」を発売する。
さらに、2016年にはレミパンの進化版「レミパンプラス」も発売。
2020年には、シリーズ累計販売台数300万台を記録する大ヒット商品となっている。
2006年:CD『私の旅』発売
ファーストアルバム『聞かせてよ~シャンソン・ド・レミ』の発売から約20年。
シャンソン歌手・平野レミは、セカンドアルバム『私の旅』を2006年に発売。
このアルバムに収録されている曲の詩はすべて、平野レミの夫・和田誠が書いている。
そして、2019年10月、83歳で夫・和田誠はこの世を去った。
まとめ
今回はこれで以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。