久石譲とは何者?【プロフィール・生い立ち・経歴まとめ】

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久石譲のプロフィール

久石譲のプロフィール

  • 本名:藤澤守
  • 生誕:1950年12月6日(73歳)
  • 出身:長野県中野市
  • 職業:作曲家・編曲家・指揮者・ピアニスト
  • 所属:株式会社ワンダーシティ

作曲家・指揮者・ピアニストなど、様々な肩書を持つ世界的音楽家「久石譲(ひさいしじょう)」。

私立三大音楽大学の一つとされる「国立音楽大学・作曲科」を卒業した久石譲は、1984年、宮崎駿監督による長編アニメーション映画『風の谷のナウシカ』の音楽を担当し一躍脚光を浴びる

その後も、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』など、ジブリ人気作品の音楽を多数手がけ、作曲家としての地位を確かなものとした。

このように、映画音楽を中心に名を馳せた久石譲だが、実は演奏家・指揮者・ソロアーティストとしての活動も精力的に行っている

今回は、そんな天才音楽家・久石譲の生い立ちや経歴についてまとめてみた。

久石譲・名前の由来

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久石譲の生い立ち・経歴

久石譲の生い立ち・経歴

  • 1950年 :長野県中野市に生まれる
  • 1954年頃:ヴァイオリンを習い始める
  • 中学時代 :ブラスバンド部に所属
  • 高校時代 :島岡譲のピアノレッスンを受ける
  • 1969年 :国立音楽大学・作曲科に進学
  • 1973年 :藤澤文女と結婚
  • 1981年 :アルバム『MKWAJU』をリリース
  • 1984年 :映画『風の谷のナウシカ』の音楽を担当
  • 2001年 :映画『Quartet カルテット』で監督デビュー
  • 2010年 :国立音楽大学の招聘教授に就任

1950年:長野県中野市に生まれる

長野県の北部に位置する街「中野市」。

作曲家の「中山晋平」や作詞家としても知られる国文学者「高野辰之」など、著名な音楽家を多数輩出したことでも知られるこの街に、1950年、久石譲は生まれた。

その後、上京して国立音楽大学に入学するまで、久石譲はこの中野市で幼少期・学生時代を過ごした。

1954年頃:ヴァイオリンを習い始める

久石譲が初めて習った音楽はヴァイオリンだった。

たまたま「鈴木慎一バイオリン教室」が近くにあったので通い始めたんです。

JASRAC

1954年は久石譲が4歳の年。

父親が大の映画好きで、その父に連れられ年間約300本の映画を見ていたため、幼少期から映画音楽には触れていた。

しかし、ヴァイオリンを習い始めたのは直接的な両親の影響とかではなく、自らの意思だったという。

中学時代:ブラスバンド部に所属

久石譲は中学時代、ブラスバンド部に所属してトランペットを演奏していた。

しかし、過去のインタビューで久石譲は以下のように語っている。

トランペットを演奏して誉められるよりも、下手なアレンジでも一生懸命譜面を書いて、それをみんなに聴かせるときのほうがずっと楽しかった。

JASRAC

上記の通り、中学時代から「自分は演奏家ではなく作曲家になろう」ということをなんとなく考えていたようだ。

久石譲の学歴一覧

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高校時代:島岡譲のピアノレッスンを受ける

高校に進学した久石譲は、音楽大学への入学を視野に入れ、ピアノの個人レッスンを月2回、わざわざ長野から東京に通って受けていた。

そのピアノレッスンを指導したのは、和声学の権威「島岡譲」

当時島岡譲は、国立音楽大学で教授を務めており、久石譲は大学でも彼に師事することになる。

1969年:国立音楽大学・作曲科に進学

高校を卒業した久石譲は、私立三大音楽大学の一つ「国立音楽大学」の作曲科に進学。

前述した通り、大学では作曲家「島岡譲」に師事したている。

自分の曲を発表する場をつくるため、5、6人の作曲家の新作展みたいなものを自分でプロデュースして開いたりもしていましたね。

JASRAC

上記の通り、大学の授業以外にも、自ら様々な音楽活動を行っていたようだ。

1973年:藤澤文女と結婚

久石譲は、大学卒業と同時に「藤澤文女(結婚後の名)」という女性と結婚している。

彼女は久石譲と同じ国立音楽大学出身で、彼より1歳年下であった。

ちなみに、藤澤文女は現在、久石譲が所属する個人事務所「株式会社ワンダーシティ」の代表取締役社長を務めており、裏方として久石譲の活動を支えている。

久石譲の家族構成

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1981年:アルバム『MKWAJU』をリリース

久石譲は、20代の大半を「ミニマル・ミュージック」と呼ばれる、いわゆる前衛音楽に傾倒していた。

そんな、約10年間程傾倒していたミニマル・ミュージックの成果として、全曲自分で作曲したアルバム『MKWAJU』を1981年リリース。

これによってミニマル・ミュージックに一段落つけた久石譲はその後、ポップスの領域にも活動を展開していく。

1984年:映画『風の谷のナウシカ』の音楽を担当

大学卒業後、精力的に音楽活動を行っていたが、なかなか売れない時代を過ごしていた久石譲。

そんな久石譲に1984年転機が訪れる。
皆さんご存じの通り、映画『風の谷のナウシカ』の音楽を担当することになったのである。

きっかけは、ナウシカのプロデューサーを務めていた高畑勲が、1982年にリリースしていた久石譲のファーストアルバム『INFORMATION』を聞いたことだった。

このアルバムに感銘を受けた高畑勲は、ナウシカのイメージアルバムづくりを久石譲に依頼。

「このイメージアルバムの中にすべての要素が入っている」

Blog. 久石譲 「ナウシカ」から「ポニョ」までを語る 『久石譲 in 武道館』より

このように感じた高畑勲は、久石譲にナウシカ本編の音楽を依頼することにしたのである。

2001年:映画『Quartet カルテット』で監督デビュー

『風の谷のナウシカ』後、映画音楽を中心に音楽活動を展開していた久石譲。

そんな彼は2001年、『Quartet カルテット』という音楽映画を発表し、監督デビューを果たした。

映画を撮るということはこんなに怖いことかということを痛感しましたね。

JASRAC

過去のインタビューで上記のように語る久石譲だが、この経験が彼の音楽家人生に多大なる影響を与えたことは、疑う余地がない。

2010年:国立音楽大学の招聘教授に就任

『風の谷のナウシカ』以後、映画監督・指揮者・ピアニストなど、作曲家以外にも活動の幅を広げた久石譲。

そんな久石譲は2010年、母校である国立音楽大学の招聘教授(臨時の教授)に就任している。

自身の音楽活動だけでなく、後進指導にも力を注ぎ始めたというわけだ。

久石譲の生い立ち・経歴まとめ

今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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