久石譲の学歴一覧【小学校・中学・高校・大学はどこ?】

『風の谷のナウシカ』の劇中歌を担当したことで、一躍脚光を浴びた作曲家「久石譲」。

作曲家以外にも、編曲家・指揮者・ピアニストなど複数の肩書を持つ天才音楽家として知られる人物だが、その生い立ちや学歴はあまり世間に浸透していない。

そこで今回は、天才音楽家「久石譲」の学歴(小学校・中学校・高校・大学+その後)についてまとめてみようと思う。

最後までご覧いただきたい。

目次

久石譲の学歴一覧【小学校・中学・高校・大学はどこ?】

小学校:中野市立中野小学校

久石譲は1950年、長野県北部に位置する街「中野市」に生まれた。

中野市という場所は、作曲家の「中山晋平」や、作詞家としても知られる国文学者「高野辰之」などを輩出した街として知られているが、とりわけ音楽に力を入れている街というわけではない。

僕の場合、たまたま「鈴木慎一バイオリン教室」が近くにあったので通い始めたんです。4歳の頃でしたから詳しいことは憶えていませんが、おそらく自分から言い出したんだと思います。

JASRAC

上記の話からも分かる通り、久石譲も音楽との出会いは偶然だったよう。

そのため、小学校も地元の「中野小学校」というごく一般的な公立学校に通っていた。

中学校:中野市立南宮中学校

地元の中野小学校を卒業した久石譲は、その後も地元の公立中学「南宮中学校」に進学している。

4歳からバイオリンを習い始め、もうすでに音楽の世界に入りかけていた久石譲は、自身の中学時代について以下のように語っている。

中学生くらいになって、具体的に音楽でどの道に進もうかと考えたときに、自分は演奏に興味があるほうではなかった。(~中略~)下手なアレンジでも一生懸命譜面を書いて、それをみんなに聴かせるときのほうがずっと楽しかった。

JASRAC

上記の通り、中学生の時にはすでに「将来は作曲家として生きていこう」という思いがあったようだ。

高校:長野県須坂高等学校

地元の南宮中学校を卒業した久石譲は、その後長野県須坂市にある公立高校「須坂高等学校」に進学している。

須坂市は、小布施町を挟んで中野市の南部に位置する街であり、須坂高等学校の2024年時点での偏差値は60となっている。

ちなみに、高校時代の久石譲は、月に2回東京に通い、和声学の権威「島岡譲」の下でピアノの個人レッスンにいそしんでいたという。

大学:国立音楽大学・作曲科

須坂高校を卒業した久石譲は、私立三大音楽大学の一つとされる「国立音楽大学」の作曲科に進学した。

当時の国立音楽大学には、久石譲が高校の頃にピアノのレッスンを受けていた「島岡譲」が教授として勤務しており、久石譲は大学でも島岡譲に師事している。

自分の曲を発表する場をつくるため、5、6人の作曲家の新作展みたいなものを自分でプロデュースして開いたりもしていましたね。

JASRAC

上記の話から分かる通り、久石譲は大学生のころから、自分の曲を作り発表したり、コンサートをプロデュースするなど、精力的に音楽活動にいそしんでいたようだ。

その後・・・

国立音楽大学を卒業した久石譲は、コンサート活動や楽曲提供、編曲活動などで生活の基盤を作りながらも、自身の作品制作にも精力的に取り組んでいた。

そして1984年、久石譲の名が広く知られる出来事が起きる。

宮崎駿監督による長編アニメーション映画『風の谷のナウシカ』の音楽を担当することとなったのだ。

ちなみに、久石譲は『風の谷のナウシカ』以降、『君たちはどう生きるか』まで39年間すべての長編アニメーション映画の音楽を手掛けているらしい。(Wikipedia情報)

このように映画音楽をきっかけに世界にその名を轟かせた久石譲だが、この状況に関しては以下のように語っている。

「宮崎監督の作品をはじめ、優れた映画の仕事は今後も続けていきます。が、久石譲=映画音楽と思われるのは心外ですね。映画やCMなどの音楽制作は、私の音楽活動の中でのひとつの通過点にすぎないのですから。」

国立音楽大学

久石譲の学歴一覧

以上の内容をまとめます。

久石譲の学歴一覧

  • 小学校:中野市立中野小学校
  • 中学校:中野市立南宮中学校
  • 高校:長野県須坂高等学校
  • 大学:国立音楽大学・作曲科
  • その後・・・

今回はこれで以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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