矢野顕子の家族構成【旦那(夫)・子供(息子・娘)・父親・母親は何者?】
矢野顕子は2度結婚し、2度離婚している
矢野顕子は、1974年と1982年の2度結婚し、1979年と2006年の2度離婚している。
矢野顕子の旦那(夫)
- 旦那①:矢野誠(1974‐1979年)
- 旦那②:坂本龍一(1982年‐2006年)
一人目の夫は音楽家の「矢野誠」。
二人目の夫もまた、音楽家の「坂本龍一」であった。
旦那①:矢野誠(1974‐1979年)
矢野誠は、作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・ピアニストとして知られる、日本の音楽家である。
1970年代~90年代にかけて、「井上陽水」や「森進一」など、名だたるアーティストの楽曲を作曲・編曲し、名音楽プロデューサーとして名を馳せた。
そんな矢野誠と矢野顕子は、1974年に結婚。
2人の間には息子も一人誕生していたが、5年後の1979年に離婚している。
旦那②:坂本龍一(1982年‐2006年)
坂本龍一は、「世界のサカモト」として知られる日本を代表する音楽家である。
作曲家・編曲家・ピアニスト・音楽プロデューサーなど多彩な肩書を持つ坂本龍一は、ロックやポップ、クラシック、前衛音楽など、多ジャンルに精通した音楽家として知られていた。
さらに、映画音楽でも世界的に評価されており、1987年には日本人で唯一アカデミー賞作曲賞を受賞したことでも話題となった。
そんな世界的音楽家・坂本龍一と矢野顕子が結婚したのは1982年のこと。
2人の間には一人の娘も誕生したが、24年後の2006年に離婚している。
ちなみに、坂本龍一は2023年の3月28日に他界。がんと約9年戦った末の死だった。
子供は2人。息子と娘が一人ずついる
矢野顕子には子供が2人いる。
その2人の子供の父親は別々で、矢野誠との間には息子、坂本龍一との間には娘が生まれている。
矢野顕子の子供
- 子供①:息子は一般人
- 子供②:娘は歌手の坂本美雨
子供①:息子は一般人
矢野誠との間に生まれた息子は一般人である。
しかし、矢野顕子の2枚目のライブアルバム『東京は夜の7時』では、息子の顔がジャケット写真となっている。
また、名前は「風太」であることもわかっている。
子供②:娘は歌手の坂本美雨
矢野顕子と坂本龍一の間に生まれた娘の名は「坂本美雨」。
歌手・タレント・女優・執筆かとして幅広く活動する人物である。
1980年5月1日に生まれたため、2024年3月現在43歳となる。
父親:開業医だった
矢野顕子は父親に関して、過去のインタビューで以下のように話している。
東京で生まれ、3歳からは医師の父が開業した青森で育ちました。両親とも音楽好き、特に父がハワイの民族音楽や南米のラテンミュージックといった洋楽が好きで、そんなレコードがかかっていましたね。
朝日新聞
上記の通り、父親は顕子が3歳の時に青森で開業した医者だった。
さらに、父親は大の音楽好きで、シンガーソングライター矢野顕子の源流は家族にあったようだ。
母親:矢野顕子がピアノを始めたきっかけは母親だった
矢野顕子は以前、Xに以下のような投稿している。
先日は母の命日だった。ずうっと一日中、母のことを考えて、一人でニヤッとしたり涙したりしていた。でも父とのことに比べて圧倒的に思い出のデータが少ない。そうだよ、わたしは15才で一人暮らしを始めたんだもん。母との仲は良かったが、実はあまり人間としての彼女を知らないんだ。でも好きさ。
— 矢野顕子 Akiko Yano (@Yano_Akiko) February 10, 2018
上記の投稿内容からすると、母親との記憶はあまりないようだが、とても仲が良く、大好きな母親だったようだ。
過去のインタビューでは、以下のようにも語っている。
3歳から音楽教室に通い始めました。おそらく母が、戦争中に自分がやりたくてもできなかったことを娘に託した……んじゃないかな。
朝日新聞
音楽教室に通い始めたきっかけは、母親にあったようだ。
つまり、父親と母親の影響によって、シンガーソングライター矢野顕子が誕生したというわけである。
矢野顕子の家族構成【旦那(夫)・子供(息子・娘)・父親・母親は何者?】まとめ
矢野顕子の家族構成まとめ
- 矢野顕子は2度結婚し、2度離婚している
- 旦那①:矢野誠(1974‐1979年)
- 旦那②:坂本龍一(1982年‐2006年)
- 子供は2人。息子と娘が一人ずついる
- 子供①:息子は一般人
- 子供②:娘は歌手の坂本美雨
- 父親:開業医だった
- 母親:矢野顕子がピアノを始めたきっかけは母親だった
今回はこれで以上になります。
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